おす、ケン坊です!
前々から書こう書こうと思ってて中々かけずじまいでココまで来てしまったんやけど、いよいよ始めるぜ!
「近所の変人さんシリーズ!」
世の中には型にハマらず自分の道を信じ、お金が儲からなくても、人から変人と言われようとも自分のやりたい事、伝えたい事に夢中になっている素敵な変人達がいる!
彼らの目指す人生の最後とはどんなモノなのか?
よっしゃ!掘り下げてみましょう!
この記事はこんな人に読んで貰いたい!
- 型にハマった生き方から脱出したい!
- 色んな人の色んな人生を知りたい
- 自分を変えたいけど変え方が分からない・自信がない
- 何の為に生きてるのか分からない
- 癒されたい
そんな人達の為に「世の中にはこんな人も居るんだよ」と言うことを知ってもらい、自分の人生を変える小さなキッカケになってくれれば大爆笑!
「近所の変人さん」#1 沖縄ブルース民謡アーティスト 沖縄本部町の”ShinBow”

沖縄本島中部の名護から車で約1時間かけてグルッと半島を回るような感じに西に進むと、あの有名な”美ら海水族館”がある
その近くに住む1人の変人さんが今日の主人公のShinBow(シンボー)さんだ

シンボーさんは沖縄生まれの沖縄育ちで昔ながらの島の三線奏者・唄者(ウタシャー:沖縄語で歌を歌う人の事)であり、流木や貝殻を自分で加工して作品を作り出すアーティストでもある
そして現在では俺の三線の師匠だ
俺が初めて彼に出会ったのは約2年前。アグと西日本をバイクで旅をした時に最後の目的地だった沖縄の田舎町である本部町に辿り着き、そこで彼と出会った。
宿泊した宿にボロボロの三線が置いてあって、アグと2人で音を鳴らして遊んでいるとある従業員が「そんなに三線に興味があるなら近所にプロの三線弾きが住んでるから紹介してあげようか?」と言う彼の言葉に素直に従い、初めてシンボーさんの自宅にお邪魔したのだ
絵に描いたような田んぼだらけの田舎道の脇に昔ながらの沖縄家屋がひっそり建っていて、眠たそうな顔をした一匹の柴犬がこちらに気付き、吠えはじめた。

俺「すんませ〜ん、ゲストハウスの人に紹介されて来た者ですが〜」
玄関の前から二、三度声をかけたら奥から優しくも迫力のあるハスキーボイスの返事が返って来た。
シンボーさん「は〜い、直ぐ行くから勝手に上がってて〜」
俺たちは靴を脱ぎ縁側からお邪魔させて貰った。
少しすると濃い顔とガッチリした体付きの日本人離れした男前の男性が現れた。 シンボーさんだ。
シンボーさん「島は暑いでしょ?どっから来たの?」
俺達「神戸からです」
シンボーさん「観光?」
俺達「いえ、観光というか・・・少し時間があったんでバイク旅で来たんです」
シンボー「そうなんだ〜。僕も大阪に歌を唄いによく行くよ。」
そう言いながらシンボーさんは凄い色のジュース(深〜い緑でなんかが浮いてる)を僕達に出してくれた。
(何らかの果物をすり潰したような感じのジュースだったけど正直あまり美味しいとは思えなかった)
俺「お1人で住んでるんですか?」
シンボーさん「母ちゃんが居たんだけど身体が悪くなっちゃって。もう病院から帰ってこれないんだよ。腰が痛て〜って言ってたからベッドを作ってやったんだけど結局一度も使わないまま病院に行っちゃったよ」
そう言いながらシンボーさんが見つめる先には大きくて立派なベッドがポツンと置かれていた。
俺「凄いですね。このベッド、ご自分で作られたんですか?」
シンボーさん「僕はね、殆ど物を買わないの。全部自分で作るんだよ。自分で作れば自分の1番好きな形に出来るしお金もかからないでしょ。テレビも見ないから置いてないしね。ついてきて。僕が作ってる物を見せてあげるよ」
(TVの事は何も聞いてないんだけどな・・・)
そう言って僕らを家の横にある工房に連れて行ってくれた。
そこには全て手作りで作られたアクセサリーやステレオ、姿見などが所狭しと置かれていた。





俺達「すげぇ〜。誰に習うでもなく自己流でココまで出来る物なんやねぇ〜」
俺達がすっかり感心していると彼は数ある作品の中から大きな貝殻のオブジェらしき物を持って近づいて来てこんな事を聞いて来た。
シンボー「ここに来るまでに沖縄のお墓って見た?沖縄のお墓って変な形してるでしょ?」
※沖縄のお墓は凹な感じの形をしていて他の日本のお墓の形とは随分と違う

シンボーさん「沖縄のお墓の形は女性のアソコがモデルなんだよ。僕達は皆んな女性のアソコから生まれて来るでしょ?だから死んだら”女性のアソコに帰る”と言う意味でお墓の形が女性のアソコの形になってるんだよ。」
俺達「へぇ〜〜・・・・」
シンボーさん「この貝殻を見てよ。女性のアソコと同じ形をしてるでしょ?僕が海で拾ったんだよ・・・・・・、ゾクゾクするねぇ〜〜」
俺達「・・・・・」
リビングに戻った俺たちはシンボーさんに要件を告げた。
俺「シンボーさん、三線を聞かせてもらえませんか?」
シンボーさんは沖縄タバコの「うるま」を美味しそうに吸ってゆっくりと吐き出しながらこう言った
シンボーさん「三線っていうのはね、いつでも何処でも弾ける物じゃ〜ないんだよ。まだ時間が早いでしょ?空気が違うんだよ。」
俺は心の中で思った
「ウヒョ〜〜!なんかカッケ〜〜!本物っぽい雰囲気とオーラが彼の毛穴から溢れ出てるみたいだぜぇ〜!」
シンボーさん「いつまで沖縄にいるの?今日の夜は唄ってくれって頼まれてるからもうすぐ行かないといけないんだけど、明日なら聴かせてあげられるよ。」
俺達「是非!まだもう少し滞在できるんで明日また来ても良いですか?何時頃ですか?」
シンボーさん「まだわかんないから・・・フェイスブックやってる?」
(少し意外だった。シンボーさん、facebookやってるんだぁって・・・)
シンボーさんとフェイスブックを交換して帰ろうとすると彼が、
「僕は今日は弾かないけど君ら、少し弾いてみたら?聞いてあげるよ」
そういって立ち上がり奥の部屋に入って行った。
少しすると何やらデカイケースを手に持って帰って来た
シンボーさん「こんな三線を弾ける事は滅多にないから良い思い出になるよ」
っと言ってそのデカイケースを開けた。
ケースの中には素人目にも分かる美しく黒光りする三線が収められていた。
ゆっくりと三線を取り出したシンボーさんが弦を鳴らした瞬間に俺は身震いした
「なっんちゅ〜え〜音なんや!宿のボロボロの三線とは全然ちゃうやんけ〜!」
感動した俺は宿でタップリと練習した「ちょうちょ」・「カエルの歌」を弾いた
シンボー「曲なんて早すぎるよ。ちゃんと弾かないと三線が可哀想。まずは姿勢から直そうか」
(正しい姿勢と爪(バチみたいなもの)の持ち方を教えて貰ったんだけどその姿勢を維持しながら弾くのがメチャクチャ大変!)
シンボーさん「三線はしっかりとした姿勢で弾かないと音が出ないのよ。爪で丁寧に、尚且つシッカリと力強く弦を叩いて、元の位置に爪を戻す所までが弾くって事なんだよ。爪を返すと空気が揺れてその音を感じながら弾かないとダメだよ。ほら、また姿勢がおかしくなってる」
そんな感じで曲どころか弦を鳴らす練習だけで2時間が過ぎてしまったのだった・・・
腕もパンパンになって肩も凝り始めた時、
シンボーさん「そろそろ終わろうか。集中力も切れてるしこれ以上やっても伸びないよ。」
俺は三線をシンボーさんに返してタバコを吸いながら目を閉じて練習を思い返した
「コレは良い趣味を見つけた。三線を買おう」
シンボーさんもタバコに火を付けて飼い犬の”ムクさん”を撫でながら話し出した
シンボーさん「僕が三線を始めたのは38歳の頃からなんだよ。沖縄で生まれて育ったけどそれまでは一度も三線を弾いた事も歌を歌った事もなかったし、カラオケに行った事すらなかった。その頃僕は東京で仕事をしていてね、なんかで沖縄に帰省した時に歌を歌う機会があって沖縄民謡の「花」を歌ったのが三線を始めたキッカケだった」
俺達にすればそれも意外だった。俺は当時36歳だったから「三線って今から始めても遅くないんだ」って思えて素直に嬉しかった
シンボーさんは続けた
「この世は嘘ばかり。本物はとても少ない。本物は簡単には出来ない。僕が三線を始めた最初の一年は”てぃんさぐの花”って曲だけを毎日弾いてたよ。20年経った今も完璧には弾けない。多分、一生かけても完璧に弾いて唄う事は出来ないと思うよ。みんな毎日テレビを見るでしょ?沢山の不必要な情報を頭に入れて不必要な事を考えるから本物が作れないの。僕からすればテレビって物は頭の良い人がお金を稼ぐ為に使う物だって思ってるから。」
彼のこの意見に関しては人それぞれに考えがあると思うし何よりみんなの人生はそれぞれの物。
ハッキリと覚えているけどこの話を聞いてる時も「俺にはその考え方は無理だな」って思った。
楽しい事や興味ある物が多すぎて全部試したい俺には少ない数の本物?を探してそれだけを続けるという事は短い人生を生きる上で勿体なさすぎると感じるから・・・
しかし彼はやっぱりある意味で本物だ
彼は彼の中で自分にとって必要なものとそうでない物の区別がハッキリとしていた。
だから彼の全ての発言は「歯に衣着せぬ」物言いだった。
シンボーさん「ビギンとかTHE BOOMとかっているでしょ?僕はアレらが大嫌い。あんな物は沖縄音楽じゃあないよ。観光客が喜ぶから本物の沖縄民謡を勝手に変えて彼等を喜ばして観光で儲けようとしている。僕達はもっと自分の文化を大切にするべきだし正しい伝統を語り継ぐべきだと思う。今の沖縄の若い人達は沖縄語が話せないんだよ。沖縄文化の素晴らしさがドンドン消えていってる。悲しい事だよ。」
そう話すシンボーさんは確かにお金を全く追いかけていない。食べ物も自分で釣り糸と針を結び付けた物だけを持って海にいき、珊瑚の間にそれを垂らし、自分が食べる分だけを釣って生活している。
彼の住んでいる家にしても、元々ボロボロだった沖縄家屋を全て自分で直したらしい。
本部町という所は本当に田舎の村で、周りに住む人達も沖縄語を話し自給自足のような生活をしている人が大半だ。
彼等の意見と自分の意見が完璧に混ざり合う事は無いと確信できるのだが彼等の生活を見ていると、どこか懐かさを感じる。
やはり自分にも古い日本人の血が流れているんだなと認識させてくれる
シンボーさんが唄いに行く時間になり俺たちはシンボーさんの家を後にした。
外はすっかり暗くなってしまっていてお腹もペコペコ状態
後半へ続く・・・・
