【今現在、どうしようも無くゴミのような生活を送っている人、多分まだ大丈夫ですよ。】

おいっす、ケン坊です!

今日はあんまり話したくない俺の数ある過去の黒歴史の一部を紹介して”どうしようも無くグータラ生活している人へのエール”としたいと思います!

① 今、考えると1番ゴミだったあの頃

今現在、俺は38歳なんだけど俺の口座には数千万円の貯金がある

+上手く行けば2千万円ほどになる株。

もちろん全て自分で稼いだお金だ。

その金額について”多い少ない”を話したいのでは無く、”ゴミみたいな人間だった所から少し余裕がある人間になれたよ”って所に注目して欲しい。
(億あったらもっと説得力があるんやけどね 笑笑)



当たり前だけど最初からあった訳ではない
俺は23歳まで一切貯金をせずに全て自分の欲しい物やギャンブル・夜遊びに金を使っていて全く貯金が出来ない人間だった。


遊びに遊んで親に反発しまくった結果、金もなく帰る家も無くなり自分の人生に対して初めて焦ったのが22歳の頃だった


キチンとした仕事もした事がなかったし、仕事が嫌いでやりたくなくて仕方がなかった。

いよいよ明日の飯代もないって所まで行って初めて先輩の働く焼き鳥屋にアルバイトとして入れてもらった

その時に初めて思った事が、


「只、食べていくだけの事がこんなにしんどい事なのか?先に入ってる年下の大学生に顎で使われる。そしてこの辛さが死ぬまで続くのか・・・・?」と本気で凹んだ



俺はその現実を呑み込む事が出来ずにストレスを感じていて、仕事後は酒を飲みクダを巻いていた


4ヶ月ほど死ぬ程バイトして手元に残った貯金が30万円になった時に俺は我慢できなくなってバイトを辞めた。


バイトを始めてから交際を始めた彼女の家でダラダラと過ごし、彼女が朝仕事に出ていくのを見送って2度寝し、起きたら彼女の家の冷蔵庫を開けて作って貰った食事を喰う


夜になるまで雀荘に行ったりゲーセンに行ったりして時間を潰し、彼女が帰って来る前に夜の街に安酒を求め、深夜の3時〜5時に帰宅するという生活を続けた


そんな生活を二週間続けた頃に貯金を見たら30万円あったのが20万円程に減っていた。


「・・・クソが、こんな調子やとすぐに金が無くなるやんけ」


自分が悪いのにブツブツと文句を言いながら缶ビールばかり呑んでいた。


その頃、夏の甲子園がテレビで放送されていたのを覚えている


高校球児達が真剣な顔で野球をしている。


そのプレイを見ながら心の中で


「この子らの殆どは小学生の頃から皆んなが遊ぶ土日も練習して、今ようやく夢の舞台に立ってるんやろうけどプロ野球選手になれる奴なんて10人もいないんだろう。時間が勿体無いとか思った事ないのかな?レギュラーの奴はまだしもベンチ入りも出来ていない三年生の子らはどんな思いで同級生の野球を見てるんやろう?」


「この甲子園が終われば就職するなり進学するなり普通の人生を送っていくんだろうなぁ。そんで仕事が辛いと感じた時とかにみんなで取った集合写真とか見て勇気を出すんだろうなぁ。」



とか冷めた事を考えながら”ポテトチップスのうす塩”をポリポリと食べていた。



俺は自分の境遇について安心したくてたまらなかったんだと思う。


何かにつけて”冷めた物の見方”をしていたのもそうだし不幸な人を探して「くだらない自分の人生も自分より不幸な誰かさんよりはマシ」と思いたくて仕方がなかったんだと思う。


そしていよいよ手持ちの貯金が尽きたら何処でも良いから”ちっちゃい工場”でも”長距離トラックの運ちゃん”でも就職するしかないんだろうなぁと思っていた
(良いカッコするつもりはないけど今では、そんな覚悟で勤まるほど”長距離の運ちゃん”や”死ぬ気で物を作っている社長が運営する工場”で働く事が甘くはない事を理解)している。みんな生きる為に本気なのだ。)


毎日を”冷静に生きている振る舞い”をしていたが内心はずっと不安で、自問自答を繰り返していた記憶がある・・・

「俺の人生はこんなものなのか?」

「こんなゴミのように生きる事しか出来ないのか?」

「まだ22歳・・・本気で何かに取り組んだら間に合うんじゃないのか?」

「人の頑張りを鼻で笑っていて本当の幸せが手に入る筈がない・・・」

色々考えながらもビールを呑み、貯金は減っていく

また勝手に焦り出す

俺の自由時間が終わろうとしている・・・・


「このままじゃ俺の人生は最悪な形を迎えてそのまま終わっていく。せめてこの貯金を少しでも俺の未来の為に使えないか?」


気がつくと俺はタイ・バンコクのドンムアン国際空港に立ち尽くしていた。

理由は3つ

  • 外国に行けば自分の中で何かが変わるかもしれない
  • 物価が安い国に行けば日本で過ごすより長い時間フラフラ出来る
  • 彼女に愛想を尽かされ始めていたから「海外でなにかを試す」と大見得を切った


そんなクソな考えから始めたのが俺の始めてのバックパッカーだった。

タイに降り立ってから俺が発した独り言を今でもハッキリと覚えている

「暑っつ・・・・。俺、何しに来たんやろ?」

その当時のタイの物価はマジで激安でビールが5、60円で飲めたし飯も屋台のばっか食ってたら3食で100円ちょいとかで過ごせた
(宿代が300円くらいだったから一日500円で過ごせてしまう時代)

ムフフなお店もめ〜っちゃ安くてホテル代込みで5000円も出せばタイで最高級の女性とムフフな事が出来たのだ。

普通のタイ式マッサージ店に入っても終わる頃に70%くらいの確率で下半身を触ってくる

そこら中で上物のマ◯ファナが格安で売ってる

安宿に行けば貧乏旅行者10人以上で集まってプカプカやってる
(呑気な音楽をダラダラ流して)


そんなタイで俺は気が狂ったように遊んだ

周りはマジで俺みたいなゴミ旅行者ばっかり。

40超えたパチンコ狂い無職のオッさんとか、冬はスノボーのインストラクターやって旅行客を食いまくって夏になるとインストラクターで稼いだ金でタイで遊びまくり、冬になると山に戻っていく奴とか


現実逃避するには最高の国だった。
(現在のタイは物価が上がってしまってあの頃のようには遊べない。今、そんな物価を求めるならカンボジアとかの方がオススメだ)

も〜タイでの毎日が楽しすぎてあの時は本当に移住したいって思ったくらい。



まぁ遊びに遊んで最高の気分を毎日味わってた訳なんだけど新しく出来たゴミのような友達の中にたった二人だけ真面目な旅行者が居たのよ

彼らと話してたら彼らはカンボジアのアンコールワットに行くらしくてそれを聞いた時に「俺も行きて〜」ってなったのよ

いつ頃見たのか忘れてたんだけど浅野忠信主演の「地雷を踏んだらサヨウナラ」って映画

その映画を見てから”いつかアンコールワットに行ってみたい”と思っていた。


この映画はノンフィクション映画で1972年ベトナム戦争が飛び火し、紛争が激化するカンボジアに一人の若き日本人戦場カメラマン”一ノ瀬泰造”が潜入し、なんとかアンコールワットの写真を撮ろうと奮闘する映画だ。


彼を好きになった理由は”写真を撮るのが下手だった”という所だ。

彼は銃弾が飛び交う生の戦場に身を置き、一つ間違えば死ぬという場所を仕事場に選び、命をかけて撮った写真を売って生計を立てていたらしいが命かけた写真がウンコみたいな金にしかならなかったらしい・・・

(命をかけて撮った写真を何十枚も渡して千円くらい。※映画より)

流れ弾を食らった彼のカメラ


誰にも認められないのに”そんな事は関係ない”と言わんとばかりに戦場に写真を撮りに行く無鉄砲さと、”給料が見合ってない”ってのがなんかたまらなくカッコ良く思えた。

一時期この戦場カメラマンに心の底から憧れていた俺はタイに出てくる前に爺ちゃんの家に行き、コッソリと爺ちゃんの宝物の一眼レフ(フィルムカメラ)と大量のフィルム・ついでに2万円程を年金袋から頂戴し、この旅に持ってきていた。

実はタイに到着して二日目、特にやりたい事がなかった俺は1人でアンコールワットを目指して列車に飛び乗ったのだ

国境の町アランヤプラテートって所まで行ったんだけど英語が全く話せなかった俺の実力も相まって色んなトラブルに巻き込まれて心が折れた俺はバンコクに逃げ戻った

って経緯があったのだ

そしてこの2人と出会い、話を聞いてたら彼らは英語が話せるって言うじゃないですか!!

”棚ぼた”である

そんな感じで金魚の糞になって彼らについていき無事にアンコールワットに行く事が出来たのである

そしていよいよあの瞬間に出会う

紅く染まる夕暮れ時、アンコールワットは幻想的な雰囲気に包まれ俺はその紅の中心で覚悟を決めた。

数少ない自分の人生の選択肢からある1つを選んだのだ。

「どんだけちっちゃくても良い。自分の店を持ち、社長になろう。しかも一刻も早く。そしてその店を従業員に任せ、俺はタイに移り住み、安いお金で豪遊するんだ!」

俺の目はきっと輝いていた。俺は当面の目標を見つける事が出来たのである

カンボジアからバンコクに戻った俺はまた遊び呆けた!

俺の心の声「仕事は日本に戻ってからだ。今、この時を無駄にしてはいけない。遊べ、俺。もっと楽しむんだ!インフィニティ〜〜〜〜!」

最後の最後まで遊び尽くして日本に戻った。

そして勝手に辞めた先輩が働く店に戻り、シッカリと頭を下げてもう一度雇ってもらった。

仕事が始まって一週間もしないうちにタイに戻りたくなったが、俺の心がこう言っていた
「まだ、ダ〜メ💕。お金が400万円貯まったら独立!その時にお店を出す前にご褒美としてもう一回タイに行こうね💕」

そんな感じでなんとか真面目に勤め続けた。

タイへの楽しみがあったから俺は頑張れた!
辛い時はタイの美女達の顔を思い出した

そうこうしていると26歳でオーナーになれた。

オーナーになった時はタイに行く事よりも金を稼ぐ楽しさを追いかけるよになっていった。

銭ゲバになった俺はそこから約10年、金だけを追いかけた。

そして最近、お金お金の人生に飽きてきた俺は「人生はお金じゃない!」とかって言って全てを売り払い、今は超安い給料ではあるが外国で働いている

もう40歳手前なのに・・・・

これからどうなるのか分からないし不安もいっぱいだけど、きっとなんとかなる

嫁もおるし。

嫁が出来てから風俗には行けなくなったのが残念だが嫁ってのも中々良いもんだ!

ウチのはちょっと抜けてるけど可愛らしいところもあって、最初は「あ〜あ、俺もついに所帯持ちか〜。窮屈になるんだろうなぁ〜。なんかカッコ悪いよなぁ〜」
とか思ってたけど嫁のアグは中々面白い奴だ

俺が死んだら俺の保険金で腹一杯ウニを食いに行くらしい

そんな愉快な嫁と世界一周!とかってこのブログを始めたんだけどあっさりとコロナに邪魔されて中断。結局はアジア一周+インドとスリランカで終わっている

再開のメドは立っていない

ホントに安定した金も稼げてないしこれから何をしたいのかも定かではない

なんども言うが年齢だけはそれなりに重ねていて2人とも40歳前後だ!

俺ら程不安定な40歳夫婦も少ないのでは?と思えるレベルだ

2人とも誇れる資格なんざ持っていない

俺が持ってる資格は誰でも取れる英検4級と普通自動車免許(普通二輪含む)のみ

アグも一輪車に乗れるくらいだ

でもきっと大丈夫!

「今現在、どうしようも無くゴミのような生活を送っている貴方も俺も多分まだ大丈夫ですよ〜」







投稿者: アグリとケンちゃんの二人旅(世界)!!!

旅好きなアラフォー二人が始めた世界を巡る旅。 ブログの事も世界の事もまだ全く分かりませんが精進しまっす(^^)

“【今現在、どうしようも無くゴミのような生活を送っている人、多分まだ大丈夫ですよ。】” への 1 件のフィードバック

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