貴方がいなければコロナで亡くなった日本人の数は増えていたと思います
私は何度生まれ変わっても貴方のような生き方は出来ません
貴方はガンジーや坂本龍馬の様に有名ではありませんでしたが彼らと同じく、命がけで人の為に生きた事を私は知っています
本文
フィリピンには日本人の為に有志で動いている団体「日本人会」というものがあります
今年の3月中旬頃からコロナ渦が始まり、日本に帰国したくても出来なかったフィリピン滞在中の日本人が沢山いました
そんな日本人の為に帰国のサポートや日本語で細かく書かれた情報FBを毎日更新するなど無償で日本人の為に尽くしている数人の日本人がいます
それが日本人会のメンバー達です
3月中頃からフィリピンでもコロナ被害が深刻化し、多くの語学留学生や現地で働く日本人が帰国を望みましたがコロナの感染が懸念されていたフィリピンでは多くの空港が閉鎖され、簡単に帰国できなくなっていました
フィリピンでは英語が公用語である為、日本語表記の情報も殆どなく英語力が乏しい日本人は情報を集める事もままならない状態に陥っていました
そんな中、日本人会は全て日本語表記の情報を毎日FBに更新し、1日に数百件にものぼる問い合わせにたったの3、4人で対応されてこられした
(※仕事は問い合わせ対応だけではない。)
英語が話せない全ての日本人の為に飛行機チケット購入の代行、タクシーやジプニー(バスのようなもの)などの公共の乗り物の営業が制限された中で空港までの送迎。
自分も英語学校で働いていたので目の当たりにしてきましたが、コロナが酷くなりだした頃の現地日本人達のパニックは凄いものでした
追い詰められた生徒達はコロコロと変わるフィリピン政府の法律を信用出来なかった事もあり、全ての質問を日本人会に寄せていました
(かなり不安な状態だった事も関係し、言葉つかいが非常に荒くなっていた現地日本人も多数いました)
たったの3、4人でそれらに対応する事自体が神業で大変すぎる事です
しかも彼らは一銭もお金を受け取らない有志です
3月中頃〜5月終盤まで地獄の業務内容をこなしていた日本人会。
”頭が下がる”という言葉しか出てきませんでした
正直自分には信じられない行為だし、とてもじゃないが真似できない・・・そう感じていました
そして現在は7月1日。
自分も6月26日の便で日本に帰ってきました
27日、食べ物も冷たい飲み物も楽に手に入る日本のホテルで自分はビールを飲みながらPCでニュースをチェックしていました
ある記事のタイトルを見たときに自分の指は凍りつきました
「セブ島で観光業に携わっていた邦人男性が死亡。コロナ渦で病院満床」
自分もお世話になった日本人会のメンバー、前野義君様が26日の夕方に亡くなられていました・・・
直接の死因は脳卒中との事でしたが、検査の結果コロナにも感染していたという事です
フィリピンの中でもセブ島では爆発的にコロナ患者が増えた為に医療崩壊が起こり全ての病院が受け入れ困難という状態に陥っていたのです
彼も例に漏れず3、4件たらい回しにされた後に亡くなられたという事でした
彼と共に戦っていた日本人会の同胞の方によれば
「セブの観光業も大打撃を受けていて、日本人の為になんとかしようと働き続けた彼は相当のストレスも溜まっていたと思います。ですがもっと早く適切な処置を受ける事が出来ていたら助かったかもしれません」
との事だった。
3月からのフィリピン・セブ島はお世辞にも便利とは言えなくなり、買い物にも制限がかかり、アルコール類の販売も禁止され外出も出来なくなりました
全く娯楽がなくなり、気晴らしに散歩すら出来なくなったフィリピンで働く自分も大きなフラストレーションが溜まっていました
そんな中で無償で人助けをしていた彼らの凄さや粘り強さを考えると本当に脱帽モノです
彼らにお世話になった日本人は全員無事に日本に帰る事ができ、それぞれの家族と今という時間を味わえていますが、彼と彼の家族は二度と一緒に食事したり、散歩をしたりという事が出来ません
多くを救った方が亡くなられました。
彼の行動を考えるといつもは適当にフラフラと生きている自分でさえ、「もう少しちゃんとしないとな・・・」と思います。
現在、日本でも東京を中心にコロナのぶり返しが始まっています
それぞれが気を付けてなるべく外に出ないよにする、マスクを外さない、ソーシャルディスタンス。
そのくらいしか出来ませんが、コロナの為に命を捧げた人がいます
彼の事を考えると今回のコロナだけは「調子に乗って命を落とす」は出来ないなと思っています
そして個人的な話ですが、まだフィリピンで働いている友人もいます
彼も含めフィリピン滞在中の日本人の方、本当に気を付けてください
そして、残された日本人会の方、自分の命にも気を付けてください
1日も早くコロナが終わる事を・・・・
前野義君様 本当に有難う御座いました