おっす、ケン坊です!
昔からそうだがオレは何故か人によく羨ましがられる。
そして変人扱いもされる・・・。
「ケンちゃんは凄い。」
「行動力がハンパない」
「なんでそんなに新しいことに挑戦できるん?」
「失敗が怖くないんですか?」
「自信に満ち溢れている」
こんな事を言われ続けて38歳になった。
今日の記事でこの問いに答えたいと思う
まず、オレは人の人生に極力口を出さないようにしてるし、興味もない。
誰がどんな”ものさし”を持っているか?
誰々がどんな事に長けていて、どんな事を不得手としているか?
生きているとそういった事が自然に見える時もあるがそれをいちいち気に留めるなんて事はない。
人は人でオレはオレ。オレはオレの生き方を模索するのに必死だ。
そもそも人の事を気にしている余裕もないし、人の思想も人の意見もその時々によって変わる事を知っている。
そんな”他人の動向”を指標として自分の道を決めた所で面白みもなければ自分が目指す成功に近づくとも思えないからだ。
人はよく人を褒める。
「イチローは凄い!彼だけは本当に特別。」
「ホリエモンとかってお金を稼げる案が自然と沸き上がってくるんだろうね。あんな人にはなりたくないけど」
「〇〇ってマジで格好良い(可愛い)。」
などなど、芸能人や著名人を褒めまくる人がいっぱいいるけど、オレはいつも不思議に思う。
「何故、自分がそうなろうとしないのか?」
オレは誰か格好良い人を見つけると
「オレもそうなりたい。どうやればそうなれるだろう?」
と考える。
そしてクソでも何でも浮かんだアイデアを速攻で試してみる。
最初、そんな不純とも言える動機で新しい事に手を出し、手を出した後にその物事の本当の魅力に気付き、のめり込んで行く。
すっかりのめり込んで、自分の技になり始める頃には最初の動機になった人物のことなど忘れているし、全然違う方向に走ってたりする。
その繰り返しだ。
三日坊主の事もあるし、何年も続けているのに人に評価されない物も沢山ある。
でも数ある「オレがやっている事」の中の幾つかだけが人に評価されていて羨ましがられている。
オレは只々自分の人生を謳歌したい。
生き生きしていたいし、ドキドキしたい。
新鮮さを感じたい。
少年のようでありたい。
新しい事への挑戦も知識を放り込む作業も全ては自分の人生を豊かにしたいからやっている事で楽しい事ばかりだ。
それらをやる上で意味のない言い訳はいらない。
大人は勝手に始めて、勝手に楽しみ、勝手に辞める事ができる。
また、「自分は何の為に生きているのか?」に対してだが、
「人が生まれてから死ぬまで生きる。その事に意味なんて無い。」
只の生物なんだから。
恐竜のように滅びる時は滅びる。
ゴキブリのように生き延びるならば自分達の意思など関係なく生き残るだろう
只それだけの生き物なのに、
「道徳心」
この言葉に縛られすぎだ。
せっかく楽しんでも良い人生が目の前にあるのに手を出さない。
もっと欲を出すべきだし、自分のことを可愛がるべきとオレは思う。
他人との温度差に気を使い、必要以上に目立つ事を下世話な事とし、厳かに慎ましくクールに生きる。人を傷つけてまで自分の欲しいものに手を出す生き方はしない。
それも人の自由だ。
が、オレは手を出す!
その結果、誰かを悲しませる事になろうとも俄然、手を出す。
人を傷つけない事など出来ない。
傷つけないように気を使って生きていても知らず知らずに人を傷つけてしまう。
俺たちはそういう生き物なんだ。
全然、
全く、
俺たちは上等な生き物では無い。
他人をいっさい傷付けない事は出来ないから大事なのは傷付けてしまった事を忘れずに、傷付けてしまった人に何らかのお返しをする事をシッカリと実行することなんじゃないか、オレはそう考えている。
自分が思うお返しも相手が気にいるか、許してくれるかは分からない。
「とり敢えずお返しはしたから。」って自分に言い聞かせる事が出来る様に実行するだけでい〜んじゃね?
所詮そのくらいしか出来ない生き物だべ。
オレはそんな温度で生きている。
オレの事を羨ましがっている人たちに何か一つだけ言うとしたら、
「まずはオレもお前も人間なんてものは全員がしょうもなく、未熟な生き物だと認めようぜ!」と言う。
人間は自分が特別だと思いたい生き物。
それは仕方ない。
でも自由にやりたい事だけをやって生きていきたいならまずは、その考えを改めるべきだ。
オレも貴方も特別ではない。
特別でありたい気持ちは重々理解できるけど、残念ながらまだ全然特別じゃないんだ!
特別になりたいなら特別になる為の動き・生き方をしないといけない。
まずは、
「変わった事をすると恥をかくかもしれない。だから何もしない。」
このクソしょうもない状態を極力減らす事、当たり前と言われる退屈な生き方から脱却する事が一番大事だ。
そこから脱却するには「自分はしょうもない人間だ」と認める所がスタートであり、嬉しい事にそこが既にゴールでもある。
逆に言えばそれが出来たら何でもできる。
実際オレがそうだ。
どっちみちクソなオレが何処で何をしようとも誰も気になどしないし、オレみたいに何の才能もないクソ退屈人間が普通に生きたとて普通に死んで行くだけだ。
わかりきっている答え。
”1+1=2”くらい明快な答えだ。
ロクに才能もないのにスリリングな生き方をしたいなら普通とは違う場所に身を置く意識を持たないといけん!
いつ頃そんな事を思ったのかは忘れたけど(多分高校生の時)そう思ってからやりたい事は何でもやるようになった。
何でもなんどもやりたい事を始め、挫折も成功も自分の中で繰り返し、その結果が答えとして心に残る。
三日坊主も上等!(三日坊主も喜んで受け入れよう。)
いつの間にか目標を立てる時、自分の心に残った”答え達”としか会話しなくなる。
最初は見えなかった”自分の在り方・生き方・好きな物”が明確な形になってくる
その形を周りの意見によって変えないのがプライドになっていったし自分が人生を楽しく生き抜く為の”自分だけの人生謳歌説明書”になっていった。
プライドとは人の目を気にして語るものではなく、カスな自分を認めた上で全力でやりたい事に命がけで向かう時、使う言葉だと分かった。
オレはまだまだ”特別な何者か”にはなれていないが人生は充分に楽しめている。
綺麗なものはつまらない。
美しいものもつまらない。
誰かが試行錯誤を重ね、苦しみに苦しんで生み出した意味の分からないグッチャグチャな物がオレの心を踊らせる。
オレもどうせ作るならそんな見応えのある物、感じ応えが在るものを生み出したい。
だから毎日毎日、今日、このブログを書いてる瞬間もグッチャグチャなモノをガタガタに積み上げ、「汚いけどオレらしい人生」という作品・オブジェを作り続けている。
って訳で今日はオレを羨ましがる人に向けたオレなりのANSERを記事にした。
面白くなかったかもしれんが、貴方のそんな感想には全く興味ない!
終わり!
まだまだ特別でも何でもね〜よ!!!
