おはよう、ケン坊っす!
今日は時代の流れについて!
なにを隠そう、俺は昭和57年に生まれた。
1982年だから今から38年前になる。

当時はスマートフォンどころか携帯電話すら存在してなくて電話ボックスが街の至る所に設置されていて、駅などでも公衆電話がズラァ〜っと並べられていた。
帰宅ラッシュの時間帯は駅の公衆電話に人が並び、電話の取り合いで喧嘩が発生するほどだった。

家の近所も長屋群(ながやぐん)が多く存在し、顔見知りのオバちゃんやオジちゃんがお小遣いをくれたりお菓子をくれたりしたもんだ。
そのお小遣いを握りしめて駄菓子屋に行き、”たこせん”や”すもも”を食べていた。

その当時では公園に行けば子供が沢山居て、知らない子と友だちになる事もしょっちゅうで当たり前の事だった。
その日はじめて出会った子とサッカー、ケイドロ(関東では泥警?)や野球を楽しんだ。
友達同士でテレビゲームにも熱中した
俺は今でもゲームが好きだ。
(スマホのゲームではなく、PS4などの家でやるゲーム。)
子供の頃も”テレビゲームに夢中で、時間が許される限りテレビにかじりついていた。
テレビゲームといえば昭和の時代はまだファミコンが発売されたばかり。
今のようなキレイな映像ではなく、ドット絵で表現された荒い作りだった。
それでも新発売のソフトの値段は当時の物価(タバコが200円で買えた時代)で安くても8000円ほどもしたのだ。
現在でも続編が発売され続けているドラクエやFFなどの名作のシリーズ初代もファミコンのソフトだった。

今、You Tubeなどで見ると信じられないくらい荒い画像だが、当時は”子供”というよりは”大人”が寝ずにゲームを楽しんでいた。
(値段が高価すぎて子供の小遣いでは中々買えなかったし、当時の大人は今ほど優しくなく、たやすくは買ってくれなかった。)
子供が新作のゲームを買ってもらう事が出来たのは誕生日かクリスマス、自分で買うなら正月のお年玉を全部はたいて一つのソフトを買うのが精一杯だった。
また、現代と比べ母子家庭も少なくてそういう家の子は目立っていた。
「あいつの家はお父さんがおらんねんで!」
とか噂をされるだけならまだマシ。
母子家庭はイジメの対象になる可能性も高かったこともあり、母子家庭の家の子供で登校拒否をする友達は少なくなかった。
俺はそういう登校拒否の友達ともよく遊んだ。
ずる賢い考えだけど”登校拒否の友達の親には過保護が多い”という事になんとなく俺は気付いていた。
我が子が”自殺”などをしないようにとゲームやオモチャを買い与える傾向が強く、昼ごはん代として1000円も机に置いて仕事に行くもんだから登校拒否の友達はお金もたくさん持っていた。
学校が終わると登校拒否をしている友達の家に遊びに行きよく一緒にゲームをしたり駄菓子屋に行って奢ってもらったりした。
そういった友達からお金やお菓子をもらっていた事がバレて親父に死ぬほど殴られた記憶が多々ある・・・・。
後は祖父母。
爺ちゃんや婆ちゃんは孫に小遣いをあげる為に生きている。
俺も爺ちゃん婆ちゃんの家が近かったからしょっちゅう行って小遣いをせびっていた。
更にある日、俺は爺ちゃんの家でカップ麺を食べようとしていて、箸が見つからずに水屋(食器棚的な家具)の引き出しを片っ端から開けて箸を探していた。
その時に俺は見つけてはいけないものを見つけてしまった。
エロビデオやエロ本などといったものではない。
それは一つの太い封筒で、達者な字で「年金袋」と書かれていた・・・・

中を見ると子供からしたら考えられない数の一万円札が入っていた。
(昔の人の年金は今とは比べ物にならないほど多い。爺ちゃんは戦争から帰ってきて国鉄(現在のJR)で働いていたから年金も月に30万円ほども貰っていたし、普通の会社で働いていた婆ちゃんでも17万円ほども貰っていた。)
俺はたまにその年金袋からお金を抜き、新作のゲームを買うようになった。
母親からしたら、
「買い与えた覚えのないゲームを息子がやっている。」
っとなってはまずいため、俺は母親が居ない時にだけ盗んだ金で買ったゲームをやると決めた。
しかしそんな考えは所詮小学生の浅知恵で直ぐにバレる。
案の定、ゲームに夢中になっていて母の帰宅に気付かなかった俺の背後にいつのまにかゲームを不思議そうに覗いている母が立っていた。
その時は「本当に死ぬんじゃないか?」というくらい親父に殴られた。
(あまりにもオヤジの張りてラッシュが止まらないから自分からワザと後ろに吹っ飛んだ程だ。)
それからも俺は懲りずに年金袋から金を抜き、ゲームを買い続けた
(飽きたら売って小遣いにする。)
スーパーファミコンが発売された頃、爺ちゃんにねだって買ってもらい、爺ちゃんの家でやり始めた。
爺ちゃんの家なら母親が来ない上に、カップ麺やスナック菓子、コーラなども飲み放題で、まさに楽園だった。
サッカークラブに入っていた俺は友達と朝練をすると親に嘘をつき、毎朝5時に起きて爺ちゃんの家に行き、小学校の時間ギリギリまでゲームをしていた
爺ちゃんには「お母さんには内緒にしてね」とお願いしていた。
優しい爺ちゃんの年金袋から抜いた金でゲームを買い、爺ちゃんの家で爺ちゃんが買ってくれたお菓子を食べながらそのゲームを楽しみ、あまつさえ小遣いまでせびっていた。
「俺は地獄に落ちるのではないか?」と怖くなった時だけひいお婆ちゃんの仏壇を開けて手を合わせ、「地獄に落とさないで下さい」と神様にお願いしていた。
(ひい婆ちゃんの仏壇に・・・)
そんな感じで過ごした小学生時代。
せっせと爺ちゃんから年金を盗み、買い集めたゲームは小6の時に起こった阪神淡路大震災によって全て燃え尽きた。
時代は進み、家庭用のPCが急発達し、ポケベルや携帯電話も登場。
そしてここ20年でウェブサービスが世界を席巻した。
親や先生達は子供を殴らなくなり、10代は「キレる10代」と呼ばれる様になった。
「お年寄りは無条件で尊敬しなければならない」と教えられてきたのに、今では「老害」という言葉が流行っている。
自分が年老いた頃には技術は更に進化し、車は完全自動運転に、テレビをつけなくても映像は脳の中で見るようになり、アマゾンで注文した商品をロボットが運んできてくれるようになるだろう。
自分としては何歳になってもドキドキしていたいという思いから38歳という年齢からITの世界に飛び込んだ。
去年まで只の飲食店経営者だった自分がいつのまにか英語を少し話すようになり、次はITプログラマになろうとしている。
完全に先が読めない人生になってきたが、いつか死ぬその日までドキドキしながらも「古き良き時代」の懐かしい思い出も忘れないよう生きていこうと思う今日この頃である。
終わり