おっす、久しぶり!
ケン坊でっす。
ちょっと色々あって最近は書けてなかったね・・・。
今日はオッサンギタリストと元エリートアパレル企画者やった黒人音楽好きのオッサンについて。
俺がバンドマンを辞めて、絶望の中しょぼい焼き鳥屋で働き始めて、仕事に慣れ出した頃に出会った一人のオッサンギタリストがいた。
(い〜〜っつもクソベロベロやったんよ)
ごっつい格好え〜ギターを弾くおっさんやねんけどかなり変コツな人で、そのオッサンは酔うといっつも俺に、
「若っかいクセにヨォ〜、やりたない仕事なんぞやらんと、やりたい事やらんかぁえい!お〜〜〜、コラ!」
って真っ赤な顔で薄青いグラサン越しに睨みつけてくるオッサン。
自分もやりたい事を全然出来てないクセに 笑笑
そのオッサンは変わった職歴で若い頃はギタリスト、途中で西田敏行の付き人を2年やった後、車のエンジニアに。
(多分その頃からいっつもベロベロ)
そして俺と出会ったからすぐに、BARを始めた。
そのBARはめっちゃクソ狭いBARやったけど、ギターを始め世界中の民族楽器(主に打楽器)が置かれていて、老いも若きも音楽好きが集まる素敵なBARやった。
(オッサンはベロベロやったけど・・・。)
その音楽好きの老いも若きもの客にいつもカウンター越しに毒ついてるオッさん。
(ベロベロの時だけ。つまりはいつも。)
誰もオッサンを怖いと思ってない。
むしろちょっと舐めてる感じ。
そのオッサンの店から数人のミュージシャンが誕生した。
そのミュージシャン達のライブにオッサンも助っ人ギタリストととして参加し、エグいほど格好良いギターを弾いていた
俺も元ミュージシャンって事で何度かライブに出演してオッサンと共演も果たした。
いつもは日本酒ガバガバ飲みながら呂律が回ってない口で世間の文句やロックとはなんぞや、レゲェとはなんぞや、的なことをベチャクリ回しながら焼き鳥で酒を引っ掛けるオッサンは意外と器用な男で日曜大工でなんでも作ってまうしかなりの料理上手。
(夏のバーベキューの締めにわざわざソーメンを茹で、生姜まで擦る男だ。)
やのに生きるのはクソ不器用な男。
そんなオッサンが最近死んだ。
食道癌。
(いっつもクソベロベロやったからなぁ〜)
もう一人、俺が尊敬する変子なオッサン(、というかもうお爺ちゃん)がいる。
彼もバーテンダーだ。
彼の場合は元は東京の超有名ブランド店の日本本店で新作の企画長をやっていたらしい。
彼のデザインする服や装飾品はどれもこれも飛ぶように売れ、会社からは役員になってくれと頼まれるまでになったらしい。
しかし彼はこう思っていたらしい。
「俺の作品はぜ〜んぶロンドンとニューヨークのパクリや。俺が作ってる訳ではない。」
俺みたいなコジキ人間からした売れて金になって客が喜んでるんやったらそれでえ〜んとちゃうか?
って所だが彼は本物でこだわりが強かったのだろう。
彼はその会社を辞め、嫁と子供を残して40近くで沖縄に一人飛んだ。
理由としては服飾を辞めて家具の仕事がしたくなったそう。
沖縄にはアメリカ軍の基地があり、大勢のアメリカ人が暮らしている。
だからこそ沖縄には彼らが下ろし売るアメリカ家具の店、中古屋、修理工が沢山あり、沖縄では若者が10代で家具の修理工の修行に入るのも珍しくはないらしい。
そんな若い修理工の中に島の外から40近くのオッサンが修行に行ったのだ。
そら、周りの若い奴らにボッコボコにいじめられたらしい。
朝から晩まで仕事して給料もゴミ。
家具の目利きや修理の勉強をやりたくて行ったのに、やらせてもらえる仕事と言えば重い物を運ぶ仕事や、痛みを伴う仕事ばっかりやったらしい。
昼飯はいっつもクソ安い定食屋でタコライス。
飯は1日にその一食だけ。
夜は黒人兵がたむろするBarで安酒を飲みながら踊り狂っていたそうだ。
いじめにいじめられたが彼は根性で耐え抜き、数年して借金しまくってアメリカ家具を大量に買い占め、神戸に戻ってきて巨大な3階建の倉庫を借りた。
その倉庫の1階でアメリカ家具を売り、2階をライブハウスや画廊に使い、3階をBARにした。
ちょっとまして好きな女が出来、彼は、
「ちょっと先に責任果たしてくるわぁ〜」
と言うてその場を後にし、数時間後に戻ってきて、
「離婚してきましぁ〜。」
っと言ってその女性と交際を始めた。
その女性も俺の大切な友達の一人となり、年上なのに「嬢ちゃん、嬢ちゃん」と言って付き合いをしている。
俺は高1の頃にそのBARを発見した。
普通の港町にある倉庫やのに1階ではメチャクチャ格好良いアメリカ家具が所狭しと並べられていて、3階を見上げるとこれまた超格好良いネオン管がバンバン輝いている。
気がつくと俺は恐る恐る暗い階段を上り始めていた。
(店に吸い込まれる感覚は後にも先にもあの一回だけだ。)
店に入ると日本人離れしたファッションセンスのオッサンが絵を描いていた。
そのオッサンは俺を見るなり、
「ビールですか?」
って言ってきた。
俺の年齢確認など一切無しにビールを出してくれた。
俺
「俺、高校生なんっすけどえ〜んですか?」
オッサン
「アフリカの民族じゃぁ6歳でも獲物を仕留めたら大人らしいよ」
それから俺はそのオッサンと友達になり制服のまま酒浸りになっていた。
それから22年の付き合いだ。
オッサンはサーファーでもあり、俺も何度か波乗りに連れて行ってもらった。
アメリカ人の友達などは彼がサーフィンを教えてくれなかったら出来なかった友達だろう。
彼は店のコマーシャルを一切しない。
最初こそ物珍しさからか客はチラホラと来ていたし雑誌なんかにも取り上げられていたが立地が悪く、やがて客足は遠のいた。
途中から1階の家具屋と2階のライブスペースは閉めて人に貸し、3階のBarのみが残った。
俺の人生初のワンマンライブも二階のライブスペースでやらせてもらった。
あの時は酔っ払ってテンション上がり過ぎて消火器撒き散らして客と音響屋を怒らしたがオッサンだけは爆笑していた。
今では殆ど人が来ないらしいが不思議なことに本物の店には本物の人間が来るらしい。
たまに演奏しに来る人間が生前の忌野清志郎だったり、ゲゲゲの鬼太郎の歌を歌っている元、憂歌団の木村さんだったりする。
オッサンは彼らを普通の客を扱うのと同じ感覚で接する。
もちろん尊敬は見て取れるが敢えて媚びへつらったりせずに自分の人生観や、経験談でやりあっていた。
この前、オッサンと飲んでる時にオッサンが言った。
「ケンちゃんな、俺キヨシロウさんとかボブ・マーリの域まで達したって最近思えるねん。波乗りもあんま出来んようになったけど海に行ってサーフボード漕いで沖まで行って、夕日見るだけで良くなったしな。耳も遠くなって最近なんも聞こえへんけど要らん音聞かんでえ〜から頭の中、黒人音楽がズゥ〜っと鳴っとるねん。ラッキーやろ? 笑笑」
オッサンは破天荒過ぎて免停中やのに我慢出来んとサーフィンに行きまくり、警察に捕まって免許が無くなった。
大量の違反金と免許を無くしてもサーフィンに行き続け、何度も警察に止められ、ついに二度と免許が取れなくったらしい 笑笑
それでも現在もバスに乗って高知までサーフィンしに行っている。
店も閑古鳥やから保険証も持ってない。
それなのに結構な割合でビールを奢ってくれる。
そのBARは今でも営業していて、俺もこの前朝までオッサンと飲み明かした。
そして・・・・、
そのオッサンもちょっと前に癌が見つかったらしい。
一人目のオッサンギタリストは55歳で次の旅に行ってしもた。
そして言いたくないが二人目のオッサンも数年後にはいないだろう。
そんな年明けでね。
仕事にも遊びにも本気度を!
って自分の尻を叩いたところ。
最近はプログラミングも少し出来るようになってきて楽しくなってきたし、今はこのスキルを一生懸命と勉強して、外国でもどこでもラップトップ一つで仕事が出来るように仕上げるが吉。
周りのしょうもない意見や、死んだ魚の目になってしまってる友達もおるけど、最強のオッサン達に出会った俺は死んだ魚の目になる訳にはいかない。
次の世代の為にあんなオッサン達のようにならなければいけない。
それは多分、簡単な事。
楽しんだらえ〜だけやから。
それだけは得意や。
俺の人生はチョ〜〜〜っとだけアグのもんで殆どのは俺のモン。
あの世なんて都合のえ〜もんがあるならオッサンギタリストともうすぐ旅立つであろうアメリカ家具倉庫おじさんと後で楽しく呑み明かせるように話すネタをもっと用意しないとな。
その為には38歳でもまだまだ夢を追いかけ続け、人前で歌って恥を掻く事を辞めないようにしないと。
終わり