また、馬鹿な行動で沖縄移住が降って湧いた

おはっす、ケン坊っす。

今日は「バカに生きてるように見えてバカな行動が一番結果を出す」って事について書いていこう。

ようやく沖縄1ヶ月生活を終え神戸に帰ってきた!

プログラマを辞めてこれからどう生きるか?何をしながら歳を重ねていくか?をボォ〜ッと考える為に沖縄に1ヶ月行ってきた訳なんやけど。

ポンっと沖縄移住の話が持ち上がった。
ゲストハウスのオーナーから声をかけられたのだ。


2年ほど前から付き合いをしてるゲストハウスのオーナー夫婦。
彼らは九州の熊本出身の夫婦で旦那さんは60歳で奥さんは48歳だ。

旦那さんの方はあの世界の「HONDA」の元役員さん。
かなりの高給取りで自分の管轄の部下は2000人を超える超大所帯の大将をやってた訳なんやけど身体を悪くしてHONDAを辞めたという事だ。
(HONDAは最後まで面倒を見ると言ってくれたそうだが本人がそんな形で残って高給を取り続けるのは部下達に悪いという事で自主退社したらしい)

第2の人生として南の島でゲストハウス経営を7年前から始められた。

一方奥さんの方は熊本時代にひょんな事から唐揚げ屋さんを開業し、偶然テレビで取り上げられた事もあり熊本で大フィーバー。
本来なら大喜びの筈だが「あんな忙しいのは二度とごめんだ」という理由でそれからのテレビ出演は断っているらしい。

そして現在は旦那さんがゲストハウスを、奥さんはそのゲストハウスのオフィス兼キッチンでゲストハウスの食堂も兼ねた「唐揚げ屋さん」をやっている。
(沖縄本部町でもフィーバーしていて結局は毎日忙しそうだ。)


そんな夫婦と毎晩ゲストハウスのテラスで毎晩色んな話をした。

コロナが終わったらまた嫁のアグと海外に戻る可能性があることや、プログラミングは趣味で続けたいこと。
コロナが収まるまでは神戸でドライバーでもやって食い繋ごうか・・・etc。

そんな話をする中でオーナーから意外な提案が。

内容は「沖縄の名護市で唐揚げ屋をやらないか?」ということだった。

奥さんの唐揚げ屋は熊本と沖縄の本部町で大ヒットしている。
だからと言って名護市(北部最後の都会)で当たるとは限らないが二つの街で成功させていることから可能性が低すぎるということはないだろう。

店の形態はオレがオーナーなのか彼の店の雇われ店長としてやるのか詳しい話は詰めていないがどちらにせよやったとして5年も6年もずっとその唐揚げ屋をやる可能性は限りなく低いということは伝えた。

でも話としては今のオレ達夫婦にとって悪くはない。

プログラミングや音楽をやるにしてもノンビリとした安い海外の国でやりたいな、「日本なら田舎の方でひっそり二年ほど生活してみたいね」とアグと話していた事もあり、降ってわいた沖縄移住ではあるが充分に視野に入った。

コロナがいつどうなるかはまだ分からない。
コロナが落ち着いた時にオーナーにまだその気があり、自分も神戸で何も始めていなければGOということにしときましょうか?
という所でこの話は落ち着いた。


さてここで今日の本題やけども、オレは若い頃から計画性があまりなく、大雑把に「こっちに行ったら面白そう」で人生を進めてきた。

高校の頃に「ろくでなしブルース」に憧れてヤンキーになり、数え切れないほど他校生にボコボコに殴られた。

痛いのはもう嫌だって時に一本のミュージックビデオに出会った。
イギリスのパンクバンド「セックス・ピストルズ」のミュージックビデオ。
(ピストルズは演奏はクソ下手なんやけどなんせムチャクチャなライブをしたり私生活がぶっ飛んでいたりでカリスマ性だけで売れたようなバンドだ。)

ヤンキーを続けても喧嘩が弱くて根性がないオレはヒーローにはなれないが、ピストルズのように「ライブでムチャクチャやるくらいなら出来るな」という事でバンドを組み、3年後に全国でアルバムを一枚発売することができた。
一緒にライブしていたのはまだ売れていなかった時代のマキシマムザホルモンやサンボマスター、スタンスパンクス、ガガガspなどだ。
(当時は2、300人のお客さんの前でライブするのが普通だったし3000人程の前で演奏した事もある)

ヤンキーをやって殴られることに慣れたからこそムチャクチャな発想でムチャクチャなバンドが組めたし、大勢の前で演奏するという得難い経験も出来た。

そのせいでプライドだけが高くなり、バンドを解散後に生きていくために働かないといけなくなった時もそのプライドがオレを最短で社長に押し上げた。

23歳で働き始め、26歳でオーナーになり27歳の頃には年収1000万越えも達成できた。

このまま店舗を増やし、失敗と成功を繰り返しながら少しづつ大金持ちを目指す道もあったと思う。

でもオレは上手くいってる店を店長に売り、全てを現金と株に変え、海外に飛び出した。

全ては「人生にドキドキを!」の精神の為に。

36歳で英語を学びにフィリピンに留学。
その後、嫁のアグと世界旅行に飛び出した。

コロナが始まり旅の中断を余儀なくされ日本に帰国か?という感じになってしまったのだが、留学したフィリピンの英語学校の校長に誘われていた事もあり、オレだけセブ島で働くことになった。

そのお陰で海外で英語を使って働くという経験が出来たし、小さな夢だった「海でジンベイザメと一緒に泳ぐ!」という経験も出来た。


そんな経験が出来たのも36歳の英語未経験のオッサンが仕事辞めて海外留学って馬鹿な行動に出なければ一切なかった経験だ。

36歳の6月、全く英語が話せなかった自分が3ヶ月後の9月には「世界の車窓から」に出てたマレーシア鉄道の寝台列車に乗りながら外人と英語で話しながら酒を飲んでいる。

たったの3ヶ月で英語の日常会話が出来るようになったもんだから「あれ?何で今オレ英語話せてんやろ?」って何回思ったことか。

あの素敵な経験はオレの人生のポジティブな経験の中でもベスト5に入ると思うな。


たったの3ヶ月勉強しただけで外国人と朝まで飲めるようになったという実績が学校の校長の評価を生み、絶望の帰国という道しかなかった所から海外で働くという道が生まれたのだ。
(とはいえガリ勉したのは最初の1ヶ月だけで、残りの2ヶ月は教師と管理人をほぼ毎日誘い一緒に酒を呑んで英語力を伸ばした。)

しかしだ!
コロナの威力は凄まじく、セブ校にも遂に生徒がいなくなりフィリピン自体がコロナにより危なくなった。

セブで働いていた日本人が亡くなり、いよいよ帰国をするしかなくなり遂には帰国した。

帰国したのは良いが、英語の勉強以外に特にやりたい事もなく、取り敢えずは親友のBARの手伝いを始めた。

でもオレはバーテンダーになりたかった訳ではなくyoutubeや新しい企画・英語を使った試みをそのBARから発信したかったのだ。

その辺の事情から親友とは合わず4日でバーテンダーを終了。
(合わないと思ったら速攻で辞めるのが一つのオレのスタイルだ)

親友のBARを辞める最後の日に別の知り合いが来店。

彼は人の足りてないIT企業に未経験から入社するという。

オレが働いていたフィリピンの英語学校にはITのコースもあり、そのコースの生徒数人とも友達になってたオレはプログラミングとはなんぞや?という話も聞いていて少し興味を持ち始めていた時だった。


人が足りてないというその会社に直接連絡を取り面接してもらい採用された。
38歳にして未経験からプログラミングを始めることになった。

このIT業界も飲食店オーナーを辞めて世界に飛び出さなければ入っていない世界だ。

3ヶ月間、毎日10時間以上プログラミングの勉強をして、PHPというバックエンドのプログラミング言語とPHPのフレームワーク「Laravel」を一通り終わらせ2ヶ月半は案件にも参加した。

PHP言語だけ出来ても仕事にはならない。
共同開発する上で勉強しないといけないアプリやツールは沢山あったがそれらも死ぬ気で勉強し、3ヶ月の勉強の成果を全て放り込んでなんとか業務をこなせるようになっていった。

そこまで行ってからから考え、一つの答えが出たのだ。
「この作業を一生続けるのはオレにとっては人生を無駄にする事になりそうだ」と。

そう思ったオレはアッサリと会社を辞めた。
アグとオレのオカンと3人で近所のお好み焼き屋でモダン焼きを食いながら辞める旨を社長にLINEで伝えた。

パッと見、誰が見ても順調にエンジニアになっていっているオレが急に辞めるという事で社長の驚きも凄かったみたいだし、会社ではオレが辞めた後に緊急ミーティングが行われたらしい。

一応キリが良いところで抜けたつもりだったんやけどオレの教育係やった気の良い先輩はどこか教え方に問題があったのではないか?と疑われたみたいだ。

彼は優しさと強さと粘り強さを兼ね備えた最高の男やったから彼には悪い事をしたなと感じたな・・・・。

プログラマを辞めるに際して何も葛藤がなかった訳ではない。
IT業界の仕事の需要はマジで半端ない。

勉強を続ければ食いっぱぐれることはないだろう。
IT業界の進化は速いが、一つの言語を極めれば他の言語に使える応用もかなり多い。

最初の勉強は大変だが2、3年もすればドンドン勉強も楽になっていくらしいし、仕事もうなぎ登りに増えていくとベテランエンジニア達は言っていた。

オレはあの5ヶ月半の勉強の後、更に2年半あのペースで勉強をなければいけない雰囲気のあの会社を辞めたかっただけなのかもしれない。

会社を辞めて沖縄に行ってからもたまにプログラミングして遊んでたら楽しいとも感じる。

仕事はなんか違う事をやるとして、プログラミングも音楽に次ぐ趣味として続ければ良いじゃないかと思った。

オレの経験上、楽しみながら続けたものの成長は早い。
もし、気付けばプログラミングの仕事も副業でやれるようになっていたらそれはそれで良いじゃないか、くらいに思うようになった。

って事で取り敢えずは違う仕事を繋ぎでやろうか?って時に沖縄移住の話だったわけ。

これまで特に計画性もなく、プライドと「行って来い」だけで歩んできた人生だが、途中にやってきたことの一つでも抜けていたら今の自分にはなっていなかった。

人の人生にとやかく言うなどと無粋な真似だけは避けたいところだが、「人生を変えたいけどなんか怖いなぁ〜」って思ってる人はやってみたら良〜んじゃないのかなぁ〜と思う。

居酒屋やBARで「何か今と違う事をやるつもりやねん」と言ってるだけで何の行動も起こしていないとすれば、何も起こらないことは確かだ。


副業で株とかFXとかも面白いと思う。

勉強は大変やし9割が敗者になると言われてるけどオレの知り合いは月の平均で20〜30万稼ぎながらBARを遊び感覚で経営してる人もいる。

オレはその人のことをスゲェ〜とは思わない。
何故ならオレは知っているから。
勉強さえ続ければシッカリと形になっていく事実を。

一番難しいのは最初の一歩を踏み出す事だけなんやなぁ〜。
それが一番怖くて難しいのは今のオレも一緒やし。

面白くなき人生を面白くするのは周りの声を無視し、最初の一歩を踏み出し続ける事なんやろなぁ〜。

投稿者: アグリとケンちゃんの二人旅(世界)!!!

旅好きなアラフォー二人が始めた世界を巡る旅。 ブログの事も世界の事もまだ全く分かりませんが精進しまっす(^^)

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